イランによるホルムズ海峡の封鎖が続き、ペルシャ湾内に約1500隻もの船舶が閉じ込められるなか、2026年4月28日、出光興産子会社のタンカー「出光丸」がイラン政府の許可を得て海峡を通過した。サウジアラビア産の原油200万バレルを積んだ同船は5月下旬に日本へ帰港したが、米国の同盟国である日本のタンカーがなぜ通れたのか、国際的な驚きを呼んだ。金銭の支払いなどの「取引」を日本政府も出光興産も否定するなか、その真相は謎に包まれていた。
この異例の通過の舞台裏について、ペイマン・セアダット駐日イラン大使がインタビューでその内幕を明かした。大使館はペルシャ湾内の日本関連船舶について日本外務省と事前協議を行い、すべてのタンカーのリストを受け取っていた。その際、大使は「日章丸以来の歴史があるのだから」とテヘランの本国政府を説得し、「出光丸を最優先に出すように私が提案した」と語った。
両国の深い関係の原点となったのは、1953年の「日章丸事件」である。第二次世界大戦後、イランが石油の国有化を宣言したことに対抗し、英国は軍艦を派遣してイランの港を封鎖した。そうした紛争のさなかに、出光興産の創業者である出光佐三氏は「日章丸」を極秘で派遣した。同船は英海軍の包囲網をくぐり抜けてアバダーン港に到達し、石油を日本へと持ち帰った。大国の圧力に屈せず独自の道を貫いた「日章丸」と「出光」の名は、イランの人々の記憶に今も刻まれている。
セアダット大使は、出光丸が愛知県知多市に入港した姿を見て感激し、出光佐三氏の眠る北鎌倉の東慶寺へ参拝に訪れたことも明かした。「両国の歴史にさらに深い敬意を抱くことができた」と振り返った大使の言葉は、70年あまり前の歴史的な航海と民間の絆が、今なお危機における外交の判断を動かす力を持ち続けていることを示している。